手彫り・手仕上げ・機械彫り

凶相印鑑の真相

世の中には本当にびっくりするほど多くの凶相印鑑(悪い作用を及ぼす間違った開運印鑑)が出回っています。

印相学自体それほど知られているものではありませんし、普通のハンコ屋さんもあまり分かっていないようです。また、開運吉相印鑑と称しながらも全く印相学の正法から外れているものも少なくはありません。

現在の不運の原因は、今お持ちの印鑑にあるかもしれません

世に蔓延る凶相印鑑の実態。今お使いの印鑑は本当に大丈夫ですか?

間違った方法で作られた印鑑を持つことにより、本当はもっと強運で、才能があって実力を発揮し、金運・健康運・愛情運・仕事運・家庭運に恵まれているはずの人も、本来の運気を落とし、不運に甘んじているケースがたくさん見受けられるのは本当に残念なことです。

現在、Google検索で上位に表示されている自称開運印鑑屋さんのページには、残念ながら【伝統の印相法】により作られている物はほとんど存在しないと思って下さい。

一般の印鑑屋さんが少々の勉強や見よう見真似で、開運印鑑”風”のものを作っているのが現状なのです。

人生を狂わす凶相印鑑の正体とは?

正しい印相の知識を持って、運を変えていく

【書体を選べるお店】は、普通のハンコ屋さんです

一般の印章店では印相体を使用していても鑑定は行われていません。(稀にあったとしても、浅はかな画数のみの鑑定)

要するに、開運印鑑”風”に印相体という書体を使用しているだけなのです。
このような印鑑では例え印相体を使用していても、開運の効果を感じることはないでしょう。

それどころか鑑定をしない場合(誤った鑑定の場合も)、知らないうちにかなりの確立で凶数を加えてしまうので、逆効果とも言えます。印相体の他に他の書体も扱っている場合は、100%印相学を無視しています。

開運印鑑は霊力がある文字の起源である篆書体を元にした印相体でしか作成不可能ですので、書体を選べること自体が印相鑑定士としては”どこか問題”なのです。

手彫りを強調したイメージ商法に注意

先日ある印鑑屋さんとお会いする機会がありました。その方は一級技能印章彫刻師の免許を持っていますが、開運吉相印鑑と称しながらもまるっきり印相の知識がなく、コンピューターで印相体の書体を選び、出てきたものを機械で彫っているだけなのです。

私の目の前で、全くの無知から生まれた【完全機械彫り】の凶相印鑑が出来上がったのです。そして更に、同じ苗字のお客様と同じ印鑑がもう一本作られました。

同じ苗字ならコンピューターに保存されている同じ印影を呼び出し、全く同じ印鑑を作る、その安易さ。
「これが現実なのか?」と目を疑いたくなりました。

「おたくのホームページでは手彫り開運印鑑となっていましたが?」
疑問が心をよぎります。

女性の印鑑も作っていましたが、実印と銀行印は全く同じ印影を使用していました。

私なら実印と銀行印で印影は変わります。同じ名前だからといって同じ印影では意味ないのです。

値段の安さとホームページに書かれた言葉を信じた結果が、凶相印を買う事になってしまっているなんて。このお客様の人生はどうなるのかと。

完全手彫りの印鑑屋はほぼ存在しない

印鑑の作成方法も 現代では進化している

手彫りというだけで職人さんが一生懸命作ってくれる良いイメージがあるため、手彫りのお店は人気があります。

しかし、実際には余程の実力がない限り、進化したコンピューターの精密な彫りには到底勝てないので、ほとんどの印鑑屋では機械に頼っているのが現実です。

機械と言っても、全作業を機械で彫る量販店のようなお店と一部だけに機械を取り入れるお店があり、100%完全手彫りのお店は現在ではほとんど存在しないのが知られざる裏事情です。

「手彫りです」という謳い文句だけで、簡単に印鑑屋を選ばないようにする事が大切と言えます。

作業工程で言えば、ほとんどの良心的なお店では<粗彫り>という作業にのみ、スピンドルという精密ドリルで大雑把に彫り下げ、残りのほとんどの作業を手で彫って仕上げていきます。

ちょっとした一部にでもスピンドルを使えば、その時点で【手彫り】ではなく【手仕上げ】と法的に呼ばれることになります。

日本の手彫り印鑑の99%はまず【手仕上げ印鑑】になり、またそれでも全く問題ありません。

手彫りと手仕上げの違いは本当は何もない

ちなみに手仕上げと完全手彫りの印鑑では、見た目は全く何も変わりません。

言葉は悪いですが「一番どうでもいい、仕上がりに全く影響がない作業」だからこそ、スピンドルで正確に早く彫るのです。粗彫り部分を完全手彫りにするだけで、お値段は倍になり、納期も倍のお時間がかかります。

全く同じ仕上がりの印鑑に、倍のお金と時間をかけても意味のないことは誰にでも理解できるかと思います。

建築の基礎工事をショベルカーで行わずにスコップで頑張って掘るようなもので、全く意味がありません。何故か印鑑にだけは、文明の力を使わない方がイメージ的に良いみたいですが、真実は全く違います。

どの業界のどの職人さんも必ず文明の力を利用しています。ヤスリをかける場合も自動的に回る電動ヤスリですし、包丁や日本刀職人の鍛治作業もハンマーで叩きますが、ほとんどの部分を自動ハンマーにかけ、僅かな仕上げのみに手で叩いて調整します。
(自動ハンマーも手で微妙に調整していますので、機械を使いこなすのも職人技の一つと言えます)

建築でもノコギリや釘打ちも今は自動です。金鎚で釘なんて打ちません。

以上のような職人の現場を見て、「機械を使っている!」などとは思わないと思います。

しかし印鑑の場合は、彫刻刀以外のものを使った時点で「完全手彫り」とは法的に言えなくなるので、実際は見事な手彫り印鑑であるにも関わらず、手彫りという単語を使うことができないもどかしさがあります。

本当はどんな道具を使用しようと関係ないはずです。

ようは道具をどれだけ使いこなし、最終的にどれだけの芸術的作品ができるかが一番重要であり、文明の力を利用しながらも、僅かな感性の調整が職人技なのですから。

本当の問題は書体作りにある

完全機械彫りは論外です。そして本当の問題もここにあり、即日配送の量販店とその作り方が問題なのです。

上で詳しく説明したように、一般の個人店では一部だけにスピンドルを使い、他の作業は全て手で彫っています。書体もオリジナルです。これを手仕上げ印鑑といい、事実上の手彫り印鑑と言ってもいいでしょう。

これは全く問題なく、むしろ現代での印鑑作りのスタンダードであり、一番進化した彫り方になります。国際数霊印相学会の開運印鑑も事実上の手彫り印鑑であり、法律上の手仕上げ印鑑になります。

完全機械彫りの量販店では、印鑑の命である書体にコンピューター書体をそのまま使用し、同じ印影を量産しています。そのような書体作りをしていては当然一点物の価値はなくなります。

一級技能資格は無用の長物

一級技能彫刻士の資格に惑わされないことも大切です。

そもそも一級技能などという資格は自動車の運転免許や調理師免許と同じだと思って結構です。

免許があっても上手い・下手は全く別物なのですから。
(タクシーの運転手が「私は運転免許の資格を持っているから安心です」と自慢しているのと同じですし、調理師免許を持っていても、まずい料理屋はたくさんあるのですから)

そもそも本当に上手な印相師はわざわざ資格を誇示したりしません。物を見れば分かることです。

実店舗があるネット通販には注意

最近では、ネット上で開運印鑑の専門店を運営しながら、別店舗で普通のハンコ屋を営んでいるお店(当然凶相)もありますので、注意が必要です。

開運印鑑の専門店と大凶の水晶専門を別店舗で展開しているお店も存在します。

要するに専門店化した方が信用されるから、戦略的理由でネット通販のみを開運印鑑の専門店にしているだけのお店なのです。

もしホームページが開運印鑑の専門であっても、実店舗が普通のハンコ屋ならそのお店は危ないと思って下さい。そのお店に真実はありません。地元の店舗では平気で凶相の普通のハンコを販売しているのですから。

正しい本物の開運印鑑選びとは?

現在はお金を出せばいくらでも見栄えのする優秀なホームページができます。ほとんど売れなかった町のはんこ屋さんが、ネット上では堂々たる歴史のある老舗店舗に変身することも可能です。

三代目が作成!創業100年!などを謳っているお店がこれに当たります。
開運印鑑の専門店のはずが、店頭には三文判のケースが並んでたりします。

ホームページの美しさや宣伝文句、価格の安さやプロが撮影した画像等に惑わされることなく、【本当に良い印鑑を作れる、優秀な印相師かどうか】が一番重要だという点に気づいて下さい。

そして、今後何十年を共にする印鑑選びにもっと真剣に取り組んで見てください。

印相学は吉にならなければ、必ず凶に転じるシビアな占術です。作った印鑑が偶然大吉になることはまずありません。

寸分狂わぬ技術と鑑定力が必要なのですから、今検討しているお店がその才能があるかどうか、よく見極めてから購入に踏み切る姿勢が大切だと言えます。

運勢を下げるエセ開運印鑑屋の特徴
  • 実店舗を持っており、普通のハンコ屋さんである
  • 姉妹店で別の印材(特に水晶)を販売している
  • 印相体以外の書体を使用している
  • 国産の本柘以外の素材を品揃えしている
  • ホームぺージに運勢的解釈があまり書かれていない
  • 鑑定士としての経験に乏しい

ほとんどのお店が<間違ったお店>と言えますので、十分に気をつけましょう。

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